切れないハンドル

お酒と結婚したいアラサー女は今日もまっすぐ歩けない

こんな人だったのよ 2

祖母は家のことをやるのが好きではなかったらしい。

 

料理も掃除もきらい。掃除機のパックの変え方なんてずーっと知らなかったから見かねた祖父がやってた。(祖父は古い考えの人間で、男が家事なんて!というような人だったんだけどあまりの惨状にみかねて掃除機の使い方を覚えた。)

家事なんて知らんぷりでオシャレと遊びと仕事が好きだった。

 

父が生まれても仕事をやめる気はさらさらなく、乳児だった私の父を近所の女性に預けっぱなしで自分はOL生活を謳歌。もちろんそんな状態なので父は育ての母に懐くわけで。祖母が父を迎えに行っても育ての母を「おかーちゃん、おかーちゃん」と言って離れたがらなかった。

それが気に入らなかった祖母。そっこーで次男を作り出産。仕事をすっぱり辞めて大切に大切に育てた。そのせいで祖母はどうしても次男が可愛くて仕方ない。それはそれはあからさまで、父や父の弟が成人しても結婚してもその感情は丸出しだった。孫の私でも感じる程に、父とその弟への祖母の態度は違っていた。

父らが高校生になる頃に、祖母はパチンコにハマり、ほとんど家にいなかったらしい。夕飯は食卓に盛られたキャベツの千切りと炊飯器のお米だけ、なんてザラだったとか。

 

私の耳に入っていないことも他にたくさんあると思う。そんなわけで今でも父と祖母はギクシャクしている。父も最低限の義務はきちんと果たしているけど、どうしても祖母の感情に寄り添ったりすることは難しいらしい。無理もないと思うよ。祖母は「あの子は優しくない!」といつも父の文句を言うけど。

 

それでも祖母に頼まれれば家電の修理をしたり新しいものを買いに行く父は偉いなと私は思う。庭の木の剪定もしてくれるし介護関係の手続きや病院での認知症の検査も付き合っていた。温かい会話や優しい言葉はないけど。仕方ないかなと思う。

 

ちなみに祖母が溺愛した父の弟は40代前半くらいで亡くなってしまっている。その人のことを祖母は今でも日常的に思い出し、話をする。「良い子だった」って。繰り返し繰り返し。父の前でも。どんだけ残酷なのよ。

父の弟の結婚式の写真をしょっちゅう眺めては「嫁がぶさいく!こんな顔の子!白無垢だって全然似合ってないし!」と言っていた。結婚して何年経っても、子供が生まれてもね。私も何度か言われた。子供だったから深い意味はわからなかったし、お嫁さんがぶさいくとも思わなかった。

 

まぁね、過去は変えられないしね。今更言っても仕方ないんだけどね。祖母の強烈で複雑な人格が認知症パワーで増幅されているのでやっかいなわけです。そんなこと言っても仕方ないし、本人も大変だろうから明日からまた気持ちを切り替えてうまく祖母と向き合うよ。買ってこいって言われたものを買ってきてやっても文句言われたりするけどね!しょうがないのよねー認知症なんだらねー自分もいつかこうなるのかもしれないしねー。あーくそ!クソババア!あー!めっちゃむかつく!あー!

 

ムリになったら家出しよーっと!ふふふ!